亡き人の夢

およそ3か月程前、突然京都の曾祖母が夢に出てきた。

曾祖母がベッドで横たわる周りを、私と母親、叔母、弟が囲み、しきりに「おばあちゃんおばあちゃん」と声をかける。曾祖母は言葉を一切放たず、おばあさんの姿から徐々に赤ん坊の姿に戻っていった。目が覚めたところで母親から「京都のおばあちゃんが亡くなったのよ」と聞かされて、母親にその不思議な夢のことを話した。最期に会いに来てくれたんだね、と。そして曾祖母は、また人間に生まれ変わったのだなあと思った。
身近な人の死に対してポジティヴな意味付けをするとしたら、曾祖母の時に感じたように、きっとどこかで次の役割を担うために生まれ変わっているのだなということ。スピリチュアルなことは信じないけど、輪廻転生という概念は存在するものなのかなと思わざるを得ない出来事であった。

このような出来事に遭遇して、自分が死んだ時のこと、誰かが亡くなった時のことを考える。人間として生きている限り人との対峙は避けて通れないし、その瞬間のネガティヴな気持ちだけで言葉を発することも多々ある。人間というのは愚かしいもので、おそらく終わりを迎えて始めてそれらの行動を後悔する。
そうは言っても生きているうちに仏の心を得ることはできないから、どんなに理解し合うことが難しいとしても、せめて人の人間としての生き方や存在については否定しないようにしたい。

私だっていつまで生きるか分からない。急に明日車にでも轢かれるかもしれないし、何かに驚いて心臓が止まるかもしれない。血流の悪さで血管を詰まらせるかもしれない。それらの事態が予期せず訪れた時ですら、この世に思い残すことがない状態でいられるように、必要な言葉は臆せず届けていたいし、不穏な気持ちを抱くのであればそれを解消する手立てを常に持っておきたい。
そのためには本能のままに生きることに(私の場合は)重点を置くのが一番である。人のことを恨まない、他人からの評価に振り回されない。自分の人生の意義は自分で決めたら良いし、自分が望むものを積極的に取りに行けば良い。そんなことを考える初秋の夜。

猫川舐子

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