2016年読書初め:小林秀雄・岡潔『人間の建設』

年越しは自宅で過ごし、2015年の総括及び2016年の展望について思考する時間に充てようと思っていたのだけど、ついつい遊びを優先させて生活リズムを崩し、気づいたら3日の21時を回ってしまった。とうとう親戚たちから“party people”なる呼称が付けられ、それも帰国子女のネイティブな発音でそうからかわれるものだから、とんだ赤恥である。

年明け初めて手にした本が、標題に記載した小林秀雄・岡潔の『人間の建設 (新潮文庫)
』である。読了していないのだが、思うことがあったので。

文中に、下記のような記載がある。

「いまの絵かきは自分のノイローゼをかいて、売っているといえるかもしれませんね。そういう絵をかいていて、平和を唱えたって、平和になりようがないわけですね。…いまの絵かきは自分を主張して、物をかくことをしないから、それが不愉快なんだな。…私は絵が好きだから、いろいろ見ますけれども、おもしろい絵ほどくたびれるという傾向がある。人をくたびれさせるものがあります。物というものは、人をくたびれさせるはずがない。」
小林秀雄・岡潔『人間の建設』(新調文庫, 1965年, 16-17頁)

今日、私が過去に書いた記事『27歳になって、女友達が減ってしまったというお話』(日刊キャリアトレック)を偶然読み返したのだけど、まさに上記で言われていることの最たる例だろうと感じた。勿論当時はこれを真剣に執筆したわけで、確かに私の自我や個性が色濃く出てはいるけれども、私が自らのポリシーとして本来発信すべき“愛や平和へのプロセス”は、自我の主張の中に埋もれているように思える。「深いね」というコメントを頂いていたけど、読み手の心に鉛を残すかのような記事のクオリティについては、再考する余地があるように思う。

namechan_ningennokensetsu

執筆に限らず、2015年は自己の内に眠るネガティヴな要素を原動力にして、それ自体を昇華していくプロセスが多かった。幸い昨年のうちに様々なことを清算したので、2016年は視界がクリアな状態で始まりを迎えることができた。この視界の曇らぬ内に、もしくは曇っても晴らす術を身につけ、全く異なるポジションからのアプローチで物事に取り組む年にしたい。

猫川舐子

広告